今日12月8日、日本軍が真珠湾に攻撃した日。この開戦を仕組んだのは、実はソ連だったって知ってました?
公開日:
太平洋戦争開戦
1941(昭和16)年12月8日午前3時19分(現地時間7日午前7時49分)、日本軍がハワイ・オアフ島・真珠湾のアメリカ軍基地を奇襲攻撃し、午前4時、米英に宣戦布告。3年6ケ月に及ぶ太平洋戦争(日本側呼称は「大東亜戦争」)が勃発。日本帝国海軍は米・真珠湾軍港を、陸軍は英領マレー半島に上陸。
日本のラジオは午前6時、「帝国陸海軍は本8日未明、西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」という大本営からの発表を伝え、終日軍歌を流した。
「12月8日午前零時を期して戦闘行動を開始せよ」という意味の暗号電報「ニイタカヤマノボレ1208」が船橋海軍無線電信所から送信され、戦艦アリゾナ等戦艦11隻を撃沈、400機近くの航空機を破壊して、「我、奇襲ニ成功セリ」との攻撃成功を告げる「トラトラトラ」という暗号文が打電された。
北の最果北方四島のエトロフ島(択捉島)のヒトカップ湾にひそかに結集した機動部隊は、1941年11月26日、運命のオアフ島(真珠湾)に向け出航。 当時、真珠湾には戦艦8隻・『レキシントン(米海軍が保有した初めての本格的空母 )』『エンタープライズ(太平洋戦争においては米海軍の旗艦〈きかん=艦隊の司令長官・司令官が乗って指揮をとる軍艦。マストにその司令官の階級に応じた旗を掲げる〉として重要な役割を果す) 』 の空母2隻が停泊していたが、奇襲攻撃2日前に空母は出航し、真珠湾にいなかった。
元々は、ワシントンで交渉していた野村・来栖両大使がアメリカ側に最後通牒を手渡してから攻撃を開始することになっていたが、最後通牒の文書の作成に時間がかかったため、奇襲攻撃となってしまった。
アメリカは「リメンバー・パールハーバー」を戦争遂行の合言葉に「挙国一致」反撃を開始する。
日本の一方的な開戦のように教えられてきたが、、、
一方では、アメリカに仕組まれて、日本は開戦せざる負えなかったとも、、、
だが、真実は、、、アメリカまでもが、ハメられていたとは。。。
信じるか信じないかは、あなた次第です!