絶対に勝てなかった大東亞戦争 ゼロ戦の構造的な欠陥とは?

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ゼロ戦には、高速で急降下すれば、空中分解する恐れがあると言う、構造的な欠陥があった。その結果、急降下制限速度が設けられ、時速629km以上で急降下しては成らない事になった。

 ゼロ戦は、イギリスのグロスター社のF.5/34の劣化インスパイアだという説がある。又、堀越二郎をはじめとする三菱の技術者たちが、わずか11ヶ月という驚異的な短期間で試作1号機を造りだしたという伝説もある。
 それはどちらでも良いが、ただひとつ言いたいことは、パイロットを守る防弾装甲無し、航続距離を伸ばすため、一番被弾し易い翼にまで、防弾装甲無しで燃料タンクを作り、ガソリンで満たしていたということである。
すなわち、ゼロ戦は戦闘で翼に被弾した場合、発火し、生きながら火葬にされてしまうという、オゾマシイ飛行機だった。このような自国民の人命を軽視した発想の戦闘機は他の国には無く、日本独特なものだった。
一言で言えば、ゼロ戦は平和時のデモンストレーション用の飛行機でしかなく、戦闘をする飛行機ではなかった。

 日本国内には、「ゼロ戦は当時の世界最高水準の戦闘機で、アメリカはゼロ戦を見たら逃げろ、と教育していた。」と、いう伝説があるが、これは特別なことではなかった。ヨーロッパ戦線でもドイツの新型機が投入されれば、連合国は「新鋭機を見たら接触するな」との指示をだしている。未知数の新型兵器に警戒心を持つのは、命を懸けた戦場では当然のことである。又、アメリカは戦略として、ランチェスタ―法則(3:1 の必勝法則)を採用していたので、3倍以上の兵力でなければ戦いを避けたのも当然であった。

アメリカは基本的に、「手堅くまとめられた平凡な兵器」をもって第二次世界大戦を勝ち抜いた。国家総力戦にとって必要な兵器は何か、を正しく理解していたといえよう。
戦争の兵器として見た場合、この平凡なアメリカ軍機よりも優れた日本軍機は一機もなかった。F4Fワイルドキャットでさえゼロ戦に大きく劣っていたわけではなかった。たしかに最初は水平面での格闘戦に巻き込まれ、苦戦したが、火力や打たれ強さを生かし、編隊戦闘戦術を編み出し勇戦している。つまり、ゼロ戦や艦攻・艦爆、陸攻を相手にするのなら、このF4Fでも必要十分だった。そこへ、F6FヘルキャットだのF4Uコルセアといった2000馬力級重戦闘機が出てきたら、日本機にもう勝ち目はなかった。しかも、1942年10月から1945年8月までに生産されたF6Fは、1万2200機と、月産約300機をはるかに越えていた。なお、ゼロ戦は、6年間で1万機あまりであった。

 戦争は設計コンテストや一騎打ちではない。システムで戦い、戦略、戦術や作戦全体で戦うものである。
「少数精鋭」などというのは、講釈師が垂れる詭弁である。政治戦略で戦い。平均的な兵器、平均的な兵士を大量にそろえて戦う。それが戦争だ。この総力戦の時代には、個人の技量に依存していては、戦争に勝てない。量こそが戦力なのであり、戦力が大きくなれば、被害も抑えられる。そして多くの仲間たちと出撃を繰り返すことで、練度も士気も向上する。

 ゼロ戦が戦闘に向いていない理由のその①
日本の航空母艦・基準排水量2万5千㌧の「翔鶴」のゼロ戦の最大搭載機数は72機だった。が、アメリカの航空母艦・基準排水量2万7千㌧の「エセックス」の最大搭載機数は100機だった。

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